終わらない夜













 巻きつけられた包帯の下、じくじくと腕が痛んでいた。




 抜擢も、自分にとってさほど意外なことではなかった。
 その先に待っているのが心躍る未来ではないということも理解している。
 放り出すのを惜しむような過去も今となっては持っていない。
 ちょうどいい、ということか。


「来たか」
「只今、御前に」
「早速だがお主には今日これよりこの儂、火影の麾下の部隊へ入ってもらう……意味が、解るな」
「…はい」

 かぶり笠の下、老じてなお鋭く射抜くような眼がこちらを見すくめていた。

「おぬしに、名を与えなければならんの」

 ことばの端に混じるは悔いか憐れみ、そういう類のものではなかったか。
 しかし僕はそれに知らないふりをして、こうべを垂れたまま拝命を待つ。
 刻み煙草の濃厚な匂いが鼻先に漂った。

 そして、聞かされた名は。

「相応しかろう」

 ──── テンゾウ。


 ただ、恬として。
 静かしくあれと。




 部屋を辞し、思う。
 憾み悔やむことを、僕はもはやしないだろう。

 でもひとつだけ。

「もしかしたら、あの蛇野郎に感謝する日が来るかも知れないぞ」

 そんな皮肉を言った訓練担当の上忍は、いつか一発ぶん殴ってやる。



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「こいつを彫ったら最後、お天道様の下に戻る日が来ると思いなさんなよ」


 作業の手を動かしながら、男は知りもしない僕の行く先をそう言い示して満足げだった。
 この湿りに満ちた洞のような部屋で、同じことを何度も繰り返し喋っているのだろう。
 有り難くない励ましと痛みにうんざりする。

「どうした。終わりだ、行け」

 近見の眼鏡を外して、男はいつのまにか道具の始末をはじめていた。
 動かない僕を胡散臭そうに見やり、顎をしゃくる。
 ここはひとこと礼を言うべきなのだろうか。

 彼の腕にも、同じ文身。
 左の五指は足らず、両の膝下は失われていた。

「何見てやがる。早く行け」

 逡巡したが、結局僕は年嵩のご同輩に黙礼だけを返し、そのまま無言で立ち上がりドアを押して個室から外に出た。




 地下待機所。
 そこは小一時間の前と同じで誰もいなかった。

 と、腥い風が通気口の辺りで動くのと同時に、背後でドアが開かれる。

「よ、終わったか」

 男が入ってきた。
 今度は若い男だった。

「これ、おまえのね」

 真新しい防具と忍刀、獣を模した異形の面。
 彼は長椅子に腰を下ろす。
 仕方なく、僕はその場で着替えはじめた。

「猫面、オマエ、名は?」

 僕がぎこちなく装備を整えるあいだ、僕の面を手にとり眺めていた彼が尋ねた。

「テンゾウ」

 僕は答える。

「ふぅ…ん。テンゾウ、ね」

 そう言って男は面の下でもごもごと何かを呟いた。
 彼の口の中で何度か繰り返されたそれは、聞き覚えはあるが愛着のない僕の呼び名。

 背にしっくりくる位置がなかなか見つからず、僕は何度も刀を背負い直す。
 そしてなんとなくもういちど、口に出して言ってみた。
 テンゾウです、と。
 すると彼は何を聞き違えたのか、

「ん?あ、これね……ごめん」

 と手に持っていた面を寄越してきた。

「テンゾウさ、おまえ、それ、痛かったろ。泣いちゃった?」

 僕の左腕に目を遣り、少し首を傾げる仕草。
 無防備だな、と僕は思う。

「俺は、カカシ。よろしくね」




 これが、カカシ。




「で、テンゾウ、さっそくで悪いんだけど」

 口づてでしか聞いたことのなかった名をあっさりと名乗った彼は続けた。

「行ける?」


 同じ、宿主。
 持つはずのない眼を持った彼。
 写輪眼の。


 テンゾウという名の僕は、この男の先へ行けるだろうか。


 手にした面で顔を覆い、僕は目の前の男を見た。
 左眼。
 垣間見の赤が火と燃え、刹那に鋭気が宿る。
 昂揚した。

「いい子だ。行くよ」

 今、その赤を見失うのは怖かった。








 地面に、延髄を切り裂かれ斃れ伏した一体と、絡んだ樹枝に骨を捻り砕かれた一体が転がっている。
 それらを見下ろす枝の上、肩で息をする僕の隣で、闇夜にも悪目立ちをする銀髪頭の上に狐面を撥ねた彼がこんなことを言った。

「テンゾウ、早く走れ」

 僕は思わず、彼の顔を見る。

「慣れれば此処はいいところだよ」








 文身の施された左腕はまだじくじくと痛んでいた。

 白い布に血が滲む。
 しかしじきにそれも乾き、剥がれ落ちるだろう。


 赤く刻まれた木の葉の焔に身を預ける。
 望まれれば、この人の隣で修羅にもなろう。



 迷わないように、今はその背に向けて必死で手を伸ばす。



















2009/04/09

(生まれたての獣がそのあとを追うように)














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