君の部屋











「満月なんだろ? 十五夜でしょうが」

 それでも細めたり、眉を寄せたりして夜空に真円を見ようとするカカシの横顔を盗み見る。
 月に照らされて、あまりに澱みない鼻梁の稜線。
 青灰色の瞳に、その向こうの暗い赤に、月は、映っている。

「もう・・・ですか」
「ん・・・?あー・・・まぁ、ね。滲んだり・・・歪んで、暗い・・・かな」

 カカシはいつもとは逆の片目をつむったまま、向き直った。

 髪に肌。
 紅蓮の虹彩。
 見慣れた色彩を浮き上がらせた月光は、僕の中の遠い―もしくはそうだと思い込んでいる―現実へと続く闇を、思いがけず照らしている。


 急にポッカリと口をあけた失望という名の陥穽。
 大きく乱れた鼓動はやがて脈に雑じって全身を駆け、吐く息を震わせた。
 何もかもは情事のせいだと言い張ろう。
 愛しさゆえの勘違いだと説明しよう。
 そんなことばかりが頭を巡る。


 考えはじめれば、月に照らされた闇の先は闇。




「こっちも、視界、欠けてきてる・・・の、かねぇ・・・」

 よくわかんないけど、と他人事のように空々しい台詞と共に、形よく切りそろえられた爪が示した球面は硝子玉のようで、僕ははじめて、それに怯えた。
 思念を振り切るように身体を捻る。
 すこし首を傾げると、気づいた唇が口づけを受けようと緩く綻んだ。


 今は、まだ、見えている。



「先輩・・・さっきの、わかった」
「云ってみな」

 離れがたい唇に乗せた声は、みっともなく嗄れた。

「次・・・、また次の十三夜、ここに来ても・・・?」

 モノクロームの映像通り、正解の褒美は僕の額と鼻先に降ってきた。
 ありがちな恋愛映画を、この人は好んで観るに違いない。
 きれいな弧を書いて消えるカカシの口端が目の前で穏やかに吊り上る。
 そういうこと と、囁く唇が動いた。





 僕は、たぶん、リアリストなのだ。
 誰に知らされたわけでもないが、そう思う。
 予測や先見なら必要だろう。
 でも甘美な空想や憂愁は、理解に遠い。





「忘れずにおいで」

 掠れてしまった声の意味を気取って、否定もしない。
 慈悲か。
 残酷か。
 ふわり、ふわりとあやすように髪を掻きまぜる指に、僕はただなるべく静かに息を吐いた。
 


 せめて近い将来は、容易に想像できる現実であればいい。
 できればそれが、あなたにとってもそうであればいい。
 ただそれだけ願い、憎らしいくらいに何もかもを明らかにしてしまう月を仰ぎ見て、睨んだ。
 信心のない者にもこれぐらいの願いは叶えてやってほしい、と思うのは都合の好い話だろうか。




 修羅を越え、闇を越えて、十三夜。
 唾棄すべき感傷と必定の現実を繋ぐ、この部屋は照る。




 果たしてそこにあるものは、僕らふたりと、夢か、現か。







 (了)









2008/04/07


(後の月の逢瀬)
(かたつきみ【片月見】  十五夜、十三夜の、どちらか一方の月見をしないこと。忌むべきこととされる。広辞苑より) 






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