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「逃げることないでしょう」

身をよじると腕をつかんで引き寄せられた。 それでも強い力で振り解こうとすると今度は髪を掴まれ力任せにうしろへと引っ張られた。 背でねじり上げられた腕が肩ごと軋む。離せ、というこちらの批難などまるで聞こえないといったように髪を掴まれたままの頭を壁へと押し付けられ、思わずうめく。間を置かずに両の脚はすさまじい勢いで右左へと払われ、力の入らなくなったところへヤマトが膝を割り入れてきた。 温い息が頬にかかる。目だけを動かして男を見る。カカシの耳に入ったのはそんな自分の視線を揶揄する言葉だった。それはベッドを共にしたときに幾度となく彼の口から聞いた言葉で、これから失われるであろうふたりの関係の連続性を考えてカカシは懐かしくそれを聞いた。口元が緩む。なにしろカカシはそのやり方でもってこの男に気を持たせて誘うようなところがあったし、ヤマトもまたそれを悦んだものだった。彼は陥落させられる自分に一定の免罪を与えようと、もしくは奇妙な共犯意識を芽生えさせることによってある種の咎から(そんなものはありもしないのに!)逃れようとでもしたのか、カカシの耳元で囁いたものだ。「またそんな目をして」と。そして彼は云う。「あなたがそんなふうだからいけないんですよ」。「あなたはいつもそうやって」。そう、俺はこうやって。「誘うんだ」。誘った。 …誰を。おまえを。   ───否、違う。

昨夜。
流した視線の先にいたのは、見も知らない行きずりの男だった。


ようやくヤマトの言葉には忽せにできない熱が満ちて、それに気づいたカカシは背けることすらできない顔を仕方なくそのままに目を閉じる。「それじゃまるでボクが無理強いしているみたいだ」目を閉じた様子に観念を見て取ったのかヤマトが空々しく嘆じてみせた。こんなときにもこの男の性格は慎重で他人の感情に巻き込まれるのを疎んじるようなところをみせるが、しかしそれは彼が与えるひと筋の救済でもあった。そして暫らくののちに、まさに自分こそがそのやさしい救いから自由ではないことに気づき、カカシはうろたえるのである。それまで離していた上半身をもぴたりと背に寄せてヤマトはまるで無邪気に告げる。「泣いて喚いたってボクの気はすまないんですよ」。いっそうの力をこめてこじ開けられる脚は不安定でカカシはのめるままに壁際へ寄らざるをえなかった。ヤマトはというとその後ろから不恰好に突き出された尻に腰を押し付けすりつけるように動かしている。昂ったセックスを感じるがカカシにはどうすることもできなかった。ただそうしてひととき自分とこの男の罪深さを天秤にかけているうちに、やはりこの男にはすべての企みを打ち明けてしまうことになるのかしらとカカシは甘く胸の締め付けられるような思いを抱き、最後には諦めに見せかけた吐息を吐くことで自らをこの先へ促すことになるのだ。

「さぁ、見せて」

髪を掴んでいた手が放され、目の前の壁に這わされた指が大きな蜘蛛のようだ。カカシは衝動にかられた。その指にくちづけたいと。頬に。唇に。いっそ床に這いつくばって足先に。「ここで、は、嫌だ」 カカシがそう云うと、ヤマトは何も言わずに彼を抱き上げ恭しい態度でベッドへと運んだ。 体は火照っていたが気持ちは冷静で、しかしやはりどこか朦朧としている。熱病に冒されるのはこんなものかと不思議に思う。カカシがのろのろと自らの着衣を取り払うあいだヤマトはというとただベッドに座ってその様を凝視していた。肘をついて指を組み時折その指を齧るような仕草がまるで昼のお祈りをするこどものようだ。彼らが今からもらえる甘いお菓子のことばかりを考えて、または今日昨日の悪戯が今にも大人にばれはしないかと考えてそうであるようにヤマトの心も今此処にあらずということなのかもしれない。が、カカシには果たして本当のところはわからない。一糸まとわぬ姿で前に立つ。体には無数の赤い痕が散らばっている。それは擦れて血が滲んだ縄目の痕であったり、隠しても隠し切れないような場所についたきつい吸い痕であったりした。晒した肌に伸ばされた指が触れる。ヤマトの指先は真新しい愛撫の痕を丁寧に検め、まだ引き攣れてもいない生癒えの傷をめくり引っ掻かいた。嬲り尽くされた秘所に触れられたときにはぴりりとした痛みが奔り、カカシはさも大げさに震えて声を漏らした。ヤマトはそんな彼を見上げながらうっとりとしたかんばせを飽くことなく眺めている。


今夜からふたりのあいだの何かが少しだけ変わるとしたらそれは報いである。しかしふたりのうちのどちらも赦される必要はなかった。何故ならこれは大きな罪で、ふたりはやがて共犯者なのだから。


笑みを含んだヤマトの声は低く、甘い。
カカシは思う。
その先の言葉を聞くとき、自分は安堵に目がくらむだろう。

















2009/05/13

(もっと、もっと、これまででいちばん酷くしてあげる)




















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