(cherry lips)











さ、どうぞ。

にっこり微笑む、これはたしなみ。 笑顔の練習。


はい、次。どーぞ。

がちと奥歯を噛み締め、表情を引き締める。

修行中や、実戦、敵と対峙したときのその顔。

そんなときに鏡を見たことが無いからたぶん、だけど。


今日は、修行だから。



眉間に皺を寄せたその表情を化粧室の鏡に映して、睨みを効かせたまま逆さに振る、一斤染の縮緬巾着。

ころりと手のひらに転がり出たのは、小さな蓋物。



「これ、サクラに土産だよ。」


そういわれ、綱手にぽいと小さな包みを渡されたのはちょうど一週間前。

湯治場のみやげもの屋の紙包みだった。

無造作に包まれたそれを破らないようにそうっとあける。

中から出て来たのは、小さく、しかし重みのある銀の容器。

貝殻を模して作られたそれには、美しく細やかな華模様の彫り物が施されている。

そして、中にはしっとりとした薄色の紅。


こういったものに興味がないわけではなかったが、買う暇無し、つけて行くとこも無しで、正月や必要なときには母親のを借りてやり過ごしていた。

・・・そんなことは、長く前髪を垂らした何かとうるさい親友には絶対に秘密なのだけれど。

思わず感嘆の声をあげ、綺麗で可愛くてうれしくて、なにより大人になったような気がしてくすぐったくて、何度も何度も礼を云ったのを覚えている。

そんな私を、今思えば、師はいつになくにっこりと笑って見ていた気がするのだ。





(師匠はこれ、今日に役立てろって意味でくれたのかな…)



『大人になったような』などといいう子供っぽい悦びを、今更ながら恨めしく思う。

違う意味でそれを達成することになるであろう、今日という日。



紅差し指に取って、柔らかい部分に桜色のつやをまとう。

変哲の無い見慣れたくちびるが突如潤み艶めき、主張を含んだ器官に変わる。

ほんのりと良い香りも鼻をくすぐって、自然と口元が綻ぶのだが。

修行なのだ。

すぐに表情を整えて再びキッと鏡を睨む。



怒気をはらんだ恐ろしい顔に、サクランボみたいな唇。

あんまりに不つり合いで、がっくりきた。





―――――





建物を出て、いつもとは真逆の方向。

遠くカナカナゼミの鳴く、林のある方向へ。


(今日行かなきゃ、いつ行くのよ。)


あの土産を受け取ったあと、ただ一枚の紙でカカシの近々の任務予定を知らされた。

自分の判断で赴く日を決めたら好いというのは、綱手なりのやさしい気遣いだったと今になって思う。

お互いが非番になる前の日。


(それに、あの、今日は、あの、あ、あ、  あ、安全日 だし。)


それにしても、どれだけ後ろ向きな言葉でもって自分を奮い立たせているのか。

突っ走る気持ちに乗るときは乗っとかないとね なんて。

今となっては鼻で笑う。

アカデミーで回し読みされるような少女雑誌の特集。幼い恋愛のよう。

でもさっきまでそんなふうに思ってた自分も、やっぱり子供かも。



歩みは緩み、気づけば地面ばかり見ていた。

夕方の風にのって、唇から甘い香りが立つ。


これは。


誰のためでもない。

自分のためにつけた紅。


不似合いだろうと、上等だわ。

やってやろうじゃないの。

光に彩られたくちびるを固く結んで、地を蹴り、駆け出した。







(続)        














2007/07/15

(こんな日でも夕焼けは)


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