未だじっとりと熱い空気が俺たちの上に居座っていた。

リモコンを持った腕が目の前を横切る。
緻密な肌理に現実味のない、たとえばそこに思い切り噛みつきたいとかそういう欲が湧いて、肚の奥がくすぶった。
「やっぱだめだわーめっちゃ寒いわー具合悪くなるわー」
エアコンを消し、ベッドから立ち上がってテラス窓へ歩み寄る。
松本が音を立てて開け放った窓からは、昼の名残を残した熱い塊が部屋を押し包むようにゆっくりと流れ込んでくる。

目をやると、重く垂れたコンドームが今にもずる抜けそうだった。
その認識が面倒くさい心配りになって口をつく前に、やつは予想を上回る丁寧さでもってそこに右手を添え、身をかばうように背中を丸めてベッドの脇をすり抜けてゆく。
今となっては見慣れた光景。
だが、最初はさすがに笑ったもんだった。


あれは休みに入る前のできごとで、場所は放送室だった。
狭く暗いあの部屋で、俺は起こり得ることに用心し、しかし用心した先からそれは起こった。

何かが気に障ったらしい。
殴られ、殴り返し、ふと気味の悪い薄笑いを浮かべる松本と目が合って、俺はこのクルクルパーをどうにかしてやらないと、と思ってしまった。
今思えばあの時の自分にげっそりだ。

腕っぷしで適わない以上、女の役をやるのは俺だと決まっていた。
しかしたとえこんな場所でひっくり返されて突っ込まれても、俺は無様を晒さずにいられる、という妙な自信があった。
なによりもそれは一過性の発作のようなものだと思っていた。

予想通りに何ごともつつがなく、腰を振るための支え以外の手は触れてこなかった。
気恥ずかしくなるようなことを云われることも、云ってしまうことも、云わされることもなかった。



問題が起こったのは事の後。

「うっわぁ」

松本の情けない声で我に返った。
目線の先、奴の足元の床には見覚えのある液体が散らかっていて。
間違いなくそれは俺の右手が前後に動いた事の成れの果て。
しかし奴の声でそれを意識させられた途端、顔がカァっと熱くなるのを感じて俺はうろたえた。
ああこんなもん、と上履きの裏で適当に床をこすったんだと思う。
「ダメでしょ垂らしちゃ」
その横で、松本が呪いの言葉を吐いていた。



夏も終わろうとしているのに、この身体は小さな爆発を繰り返している。
きちんと拭ってゴミ箱に捨てなかった数千万の精子の、もしかしなくてもこれは呪いだ。

それじゃなければなんだ。

どうしようもなく正直で独創的で、そのくせ妙なシンクロを繰り返して。
正直、俺は持て余しはじめている。

「ほっさん」

目を開けると、ひとり勝手にこざっぱりした松本がベッドの横まで戻っていた。
「シャワー、すれば」
そう云って勢いよく呷った350の缶を目の前に差し出される。
『 アンバサ 』
そこにある青い字を読み、俺は首を振った。
「いらねェ」
そんなにそういう、白いのが好きかよ。
「あ、そ。で、シャワーは?」
「っつか頼むからつけといてくんねーか」
「何の話よ」
「エアコン」

暑ぃし、汗かきたくねぇんだ。
俺をじぃっと見つめたまま、松本はまたその白いやつをするすると飲み、云った。
「そんなに暑いかね」


いっしょに眠った。
何がしたいわけでもない。
何が欲しいわけでもない。
ただ「眠りたい」、それだけだという言葉を信じるも信じないもなかった。
だから時々はこの部屋へ来て、やつの隣で俺は眠った。
そしていつのまにかこうなっている。
寝ている。
つまりはやつとセックスをした。
それについてはどういうわけか。
ナニがしたくなってしまったわけではあったが、それ以外の理由は多分、ない。

互いに欲しいものがあったとすれば、それは何か単純で生々しく直接的なもので、隠すべきことでもないように思えた。

しかしご多分に漏れず、どこからともなく発生してくる何か「きもちのようなもの」。
原因や結果をつき止めようと考えたこともあるが、連想ゲームの最後はいつも面白くないことになる。
知っても多分、結構、邪魔くさいことだ。

見下ろす男から視線を逸らし、俺は再び目を閉じた。

「まぁ何云ったって、夏は暑いもんでしょ」

ぬけぬけと。
舌打ちをしたいような気持ちになった。
が思い直して、そんなに身を任せるなよ、と少しだけこのアホの心配もする。
そしてしばらく静かにしていると思ったパンツ一丁の男は、腰に手を当てて缶に書かれた栄養成分表を変態の目でじぃっと見つめていた。
余計な心配にため息が出る。

「夏なんかもう終わりだ終わり」
終われ。終われ。早く終われ。
「まだ当分暑いっしょ」
松本がベッドに乗り上げたせいで俺が転がり、横になったやつの半分下敷きになる。
「俺が終わりっつったら終わりだっつーの。ってかいつから正式に秋だよオイ」
「知らねーですよ」

きもちのようなもの。
夏の暑さのせいでも、隣の男の体温のせいでもない。
どうにも邪魔くさいことだが、それはどうやら自分の中から発生している。

「今年はまだまだ残暑が厳しいってよ、云ってた」

あの日の出来事はやはり飽和であったのだ。

だらだらとあふれ出るこれから先のことを考えるよりも、俺は今度こそしかりと目を開く。
そしてもはや現実となりかけている不吉な連想を放棄することを決めるのだ。

窓の外に目をやれば、急坂の季節は今この瞬間にも先へ先へと転がり落ちていた。
ギラギラとまぶしい西日に目を焼かせ、あれが落ちたらとりあえず今日こそは家へ帰ろう、と俺は心に決めた。
4日ぶりだ。





2010/09/30

(暑さと隣のバカのせいで俺はもうずるずるだ)














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