関係(side A)
目が覚める。動悸を感じる。
眠りこけるつもりはこれっぽっちも無かったから、ここがどこか、今何時か、ちっと待てそれ以前に今日何日だどんだけ寝ちまったんだと慌てるが、なんてこたぁない。此処はオレん家だ。
首だけもたげ、窓の外を見る。
夏へ向かう季節の太陽はまだ沈まない。
半端に引かれた窓掛けを透かし、部屋に光をこぼしている。
(半刻ばかり寝た…か)
肘をつき、上半身を起こす。
まだ寝ているか、身じろいだから起きたか。よく寝てやがる、と思った瞬間、ぱっちりとその目は開いた。
カカシはオレの隣でむくりと起き上がり、少しのあいだ惚けた顔のまま、そのうちに悲壮な面持ちになって ああ、わ、うわぁ と呻くと、反転して枕に突っ伏した。
オレは包みに手を伸ばす。マッチを擦る。火を点ける。
動かないつむじを見下ろしながら一服。
枕に顔を押し付けたままのカカシは、モガモガと何か云い出すようだ。
「・・・オレぇ これからまた任務なのよー・・・」
「おぁ・・・そうか」
声が出た。喉元の筋肉が解れる。
何なんだと思ったその行動にも合点がいく。
こう云っちゃあ何だが、オレは今日はもう仕舞いだ。ちなみに明日も非番だ。
(オレはいいけどオマエ、そうしてる暇は無ぇんじゃねぇの)
そう思ったが口には出さず、その代わりに長くゆるゆる煙を吐く。
夕刻からの任務、ガキ連れってことはない。しかも今日は新月の仕事日和。難儀な任務でものっけられたか。
まさかとは思うがこいつの悪癖を知るオレは ――明日非番で心持に余裕のあるオレは、いちおう訊いておく。
「時間、いいのかよ。」
「んー・・・、ま、だいじょーぶなんじゃなぁいのォ・・・」
聞いてるこっちまでかったるくなるような返事だ。任務だっつうのに。
「はは。ふたりして寝ちゃったんだ。お疲れだねぇ、オレたち」
がしがしと後ろ頭を掻きながら起き上がり、床に足を下ろして大きく息をついてうなだれ、こちら側からは見えないが、うなだれついでに床に散らかした服を拾っているようだ。
カカシが腕を動かすたび、肩甲骨とそれを覆う薄い皮膚が動く。
つるりとした背の肌の下に背骨の規則的に並ぶさまと、いくつかの創。
「ここんとこ忙しいよねぇ。扱き使われてる感が否めないよね」
聞いちゃいなかった。
つい先刻まであんなに貪っていたのに、次抱くときは、と考えを巡らせている。
はたと、自分は何を、と思ったときには口元が緩んでいた。
我ながらと呆れ、口を結ぶ。
カカシのほうに目をやる。
きちきちと音を立てて黒い革を引き、指をくねらせて手甲をつける仕草は見慣れたもんだが、その面はなんだ。ちょっとした殺気まで込めやがって。
「な に よ」
「あ゛ぁ?」
「なに思い出し笑いなんかしちゃってんの。 どーせまたやらしいこと考えてんでしょ」
見られていたし、図星だった。でも素直に ハイそうなんです なんて、云ってやるわけがない。
「っは。誰が。そんなんじゃねぇよ」
うまく云ったつもりだったが、余計にニヤニヤされた。
「んねぇ、オマエ、久しぶりで好かったんでしょ。任務続きの同僚に無体も強いてみるもんだよねぇ・・・それにオマエ、今日はもうおしまいでしょ。明日も休みらしいじゃない。オレ、さっき受付で聞いて知ってんだからね」
「・・・」
ため息を8割含んで大きく吐いた煙は、もやもやと広がって目に沁みた。
確かに、知ってなきゃ突然そうやって転がり込んじゃ来ねぇよな。
このエリート先生は時々こうやってわかんねぇヒス起こしやがる。何なんだかな。
「今日はまたずいぶんと突っ掛かるなあ。生理か」
生理だろうがなんだろうがその理由を聞きたいなんてこれっぽっち思わねぇ。
でもそう云ってやったらヤツは黙って。
艶っぽく笑みながらちろりと横目でオレを見る。見とれちゃあないぜ。でも次の瞬間にはまあ恐ぇ顔。
「なによっ 違うわよっ! って、知ってるくせにっ」
ご丁寧に声色まで変えて、奴が投げつけたのはオレの腰布。顔の横で片手で受け止めてやった。
「おう。こりゃありがたいもんなんだぜ・・・抛ってくれんなよ。それにしても冴えない芸だな。なんだ。もっとかまって欲しいってやつか?」
「・・・」
「・・・」
次の攻撃に身構えたのに、今度は不発だ。
黙るとこじゃねぇと思うが、何なんだか。
薄暗くなった部屋で互いの表情はあまりうかがえず、それでも目を凝らしてみると何ともまぁしけた面してやがる。
「ねぇそれ」
気色悪く可愛いコ振った芸のまま、あごをしゃくってよこす。
「それ。一本頂戴」
寝台の上に放ってやった包みは開けたばかりで、自分より幾分か細い指がひとつ取り出し、同じように火をつける。
どさりとカカシが腰を下ろすと、2人分の重みを受けて寝台が軋んだ。
「やつらにさあ・・・」
「あ?」
「コドモたちにね、訊かれたのよ。煙草は吸わないのかって」
「おー。んで、なんて答えた」
「別に。吸うときもあるよって。でも拙かったなぁって思ってさ」
ヤツは少し首を竦めそう云って、こっちを向いた。
「どういう意味だそりゃ」
オレは訊ねる。本当にわからなかったから。
カカシはのっそりと手を伸ばし、オレの口からタバコをはずした。
それはいつも合図のようなものだから、だからオレは身を乗り出して腰に右腕を回してカカシを引き寄せ、口づけた。
舌が絡む。
甘ったるい声出して、息を吐いて。
ねだるみてえに身体、にじり寄ってくるし、そうなるとこっちも、イヤ待てよ時間ねえよな、とりあえずタバコは消しちまえよ。でも腕を緩めたら、カカシはひどくあっさりと離れた。
オレにフィルターを元通り咥えさせ、何事もなかったような顔して、ぷかりと輪を作って見せる。
「だってさぁ」
離れたばかりの唇が暗い中でなお暗く光り、行き場を失った手はもう一度そこに伸びたいと思う。
「オレ、普段タバコ吸わないし。お前んとこでしか吸わないもの。しかもセックスの後。でしょ?」
灰皿にタバコをつぶし、思うままに手を伸ばす。
「事実なんだから拙くは無ぇだろ。ここにいて見たヤツがいるわけじゃねぇし、第一ガキじゃあるまいし、」
そう云いながら左腕を掴んで、引っ張った。
――オトナは誰と何処で何しようとかまわねぇだろうが。なあ。
ごろりと引っ張られるままに倒れたところに、覆い被さり重みを乗せる。
腕を押し付け、口を寄せ、低く呟き、舐め、噛む。
「んー まぁ そうなんだけどさー」
アスマ、くすぐったいし重い と、緩く制するようにカカシは向こうへ首を傾げた。
「オレの中で、タバコとセックスと髭と熊が結びついてるっつうのがなんか、さ。 って思うわけよ」
白く伸びた首筋に口を付け吸うと ぢゅ と派手な音が出た。
抵抗など感じないがいよいよここまでだと身体を離す。
「あ?なんだそりゃ。つかてめぇ髭と熊ってなんだ。
」
倒れたままのヤツを見下ろすと、口の片端を吊り上げこちらを見ている。
オレもわかんないね とカカシは笑った。
その口ぶりに突然、真意を理解する。
「はは。それにお前いつもタバコくさいし・・・ってちょっと今何時よ」
おちょくりやがって。
オレは憮然としてしまって、さぁなとでも言ってやりたい気分だったので答えなかった。
カカシは跳ねるように起きて、自分で時刻を確かめると何とかと呟き、ヤツにしてはめずらしい速さで残りの支度を済ませ、ぎゅ と灰皿に火を消して「じゃね」とだけ云って出て行っちまった。窓から。はは。急いでやがる。
――あぁ、おお。
別れの挨拶だったはずの音が口から出たが、全然言葉にならず、間に合ってもいない。
と思ったらまた、窓の外にカカシの姿がのぞいた。
「アスマぁ、 ・・・よ!」
焦った。
そんなオレを見て、してやったりと思ったに違いない。カカシは笑っていた。
(タバコとセックスが・・・か)
気を取り直して新しい一本を取り出し火をつけたのは、もうとっくにカカシの姿が見えなくなってからだった。
深呼吸するように大きく深く吸い、吐く。
都合悪いことはないし後腐れも無い。カカシとはそういう付き合いだ。面倒なのは抜きにしようぜって、一度は云ったかもしれない。云わなかったか。忘れた。
駆け引きして遊ぶのもまぁ悪かないが、お前とじゃ相手が悪い。
実際、鳩に豆鉄砲、だ。
(まったくあのセンセイには付き合いきれねぇ)
オレもオレで、大概だ。
無論、明日をも知れぬだなんて思ってはいない。思いたくも無いが。
次は。
(そのまえに、五体揃って帰ってもらわねぇとな)
肚の奥に据えたもの全部そのままで、また。
お互いそういうのをわかってて、暴くのも暴かせるのも難しいことじゃない。
でも面倒ごとは、他所行ってやれ。
いつもオレらを覆うのは、至極単純な薄っぺらい欲求だけ。
それでいいんだろ、と独りつぶやく。
のらりくらりと続くから、前を思い出し、次を期待する。
僅かずつ侵食されているのかもしれないし、囚われてるのかもしれない。
でもそれは今更。お互いさま。
全部ひっくるめて愉しむか、それが出来なきゃせいぜい気づかない振りをし続けるんだな。
他人事のようにそう考えた。
細く長く、薄紫が天井へと昇っている。
乾いてはいるが、この関係は。
旨い話ってのは恐ろしいねぇと、オレはひとり、少し笑った。
(了)
2007/06初出 2008/05/15再掲
(その気はなくとも、絆し絆され)
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