好きってわけじゃないけど、嫌いでもないよ
自分から欲しいとは思わないけど
あ、いや、そんなこともないか
ま、たまにはな
たまには欲しくなるときもあるのよ
だってほら、オレ、オトナだし
第一さぁ、キミたちまだコドモなんだから
関係無いでしょーよ、そんなこと
関係(side K)
雲は刷いたように薄く広がり、昼時の光線を柔らかくしている。
林を渡る風が頬に心地よい。
夕方になる前には里に着くだろう。 解放された心持になる。
単純な任務が毎回続く。
けれども早朝、空も白まぬ時刻からの慣れない作業に、肉体的な疲労をともなったのも事実だが。
今回は萵苣菜の刈り入れの手伝い。
高地の朝は季節が逆戻りしたかと思うほどにひどく涼しく、露に濡れた土は所々凍てていた。
身を屈め、刈り取り、並べ、新鮮さに疵つけぬよう丁寧に箱に詰める。
こわこわとした手触り、けれどもそれは繊弱で、作業は単純だが迅速さと慎重を要した。
しかし果たして、決して楽ではない農作業を一部分ではあるが体験したことは、好ましいことであった。
そうカカシは思いもよらない満足を覚えていた。
野菜の収穫と聞いて「オレってば生野菜好きくねぇんだよなぁ」と、誰も喰えとは言ってないのにだいぶ的外れな文句も聞こえていたが、おすそわけをどっさりと持たされて厭な顔をする不調法者もいないようだ。
「刈るだけでも大変だったろう?苦労して作っとるんだよ。好き嫌いなく食べておくれな」
農家のおかみのほがら声の聞こえる方に目をやると、コドモたちが笑っているのが見えた。
そして今、疲労しているし、寝不足でもあるだろう。結局のところちょっとした躁状態なのかもしれない。
両手に野菜をぶら下げ、むしろ引き摺るようにして歩いているコドモらの声はいつにも増してにぎやかだ。
「ま、たまにはいいよ…」
自分に言い訳するように独り言ち、本心、あのピィチクパァチクをなだめすかすことなど甚だ面倒なのだ。
忍なのに忍べていない子らを後ろに聞きながら、巻き込まれることのないように気配を薄め、本を読みながら少し先を歩く。
目は文字の羅列を追った。
が、いつものように没頭できない自分に気づくのに時間はそうかからなかった。
まぶたの裏が乾き、手のひらは温かい。 カカシもまた睡眠不足なのだ。
ここ数日の昼も夜もない任務続きを考えればそれも当然のことで、それでも断るなどという選択はないのだから、自力でリフレッシュするしかないのだが。
(リフレッシュ…ねぇ。)
回転しないアタマでは爽快な案も浮かばず、気を緩めた途端に湧き出るあくびを噛み殺す。
そして、また。
6つの目玉からの視線。ヒソヒソ声。
実際、それは見られているのだ。
反省会と称するひとしきりのおしゃべりや小競り合いを終えると、そうやってオトナの背中に向けて小さな殺気を飛ばして。
(ま、かまってくれ光線ってとこか…。)
コドモだけで遊ぶのに飽きたのか、もしかしたら自分だけが会話に混じらないのを気にしてくれているのかと思い至り、ほっといてくれて好いのにと思うが、まぁ、可愛らしくないこともない。
しかし自分からかまってやることはしない。じきに必ず呼ぶ大声が掛かり、いかにも待ってませんでしたという顔を作って、のろりと後ろを振り返るのがお決まりだから。
「お〜い カカシ先生ってばよーぉ!」
さっそくだ。
ぱたんと音を立てて本を閉じ、すこしだけうしろを振り返る。
ちょっとした抵抗と不機嫌を行動に滲ませて。
「何。何か用?」
自分がそう言い終わるより早く、コドモたちはてんでバラバラなことを口にした。
それはまったく、安心すら覚えるほどいつも通り。
印の順を見ていてくれとか、忍の歴史とか、先人についてとか、『なんかすっげぇやつ』教えてくれとか。
そしてややもすれば話は全く違う方向へ逸れていって、里で流行の『木の葉占い』を知っているか(何それ)とか、やったげるから生年月日教えて(ひとりでこっそりやりたい)とか、ひでぇ結果だってばよ(あはは)とか。あげく、口布とってみせろ(やだよ)とか。
まあ色々とあるが、眠りながらでも答えられるような、それは実に他愛のないこと。
でも今日のその最後の質問は、ちょっと違った。
眠気が覚めたし、答えに詰まった。しばし黙考の後、いつもどおり的確に質問に答えた。つもりだった。
今思えばあれは、答えになっていなかった。
「カカシ先生ってさ、タバコ吸わないの? アスマ先生みたいに。」
口布があってよかったとつくづく思う。あんぐりと口を開けた表情なんて、師たる威厳も何もあったものじゃない。
それにしてもこの質問は何故こんなに引っかかるのか。
わからない思いが自分の中に沸いたことに、少し苛苛しく思いはじめる。
髪に指を差し入れ掻き回すのは、困ったときのカカシの癖。
緊張か。苛立ちか。
指先が少し冷たいのを頭皮で感じる。
どう受け取られたかなんて顧みる余裕はなく、それを失っていることすら自分は気づいていなかった。
答えにならない答えを聞いたコドモの口からは ふぅん オトナでもそんなものなんだ とか やっぱりあんな煙が美味いはずねぇってば とかと漏れ聞こえて、そこではじめて自分はなんだか頓珍漢なことを云ったかしらんと思っただけで。
好きってわけじゃないけど、嫌いでもないよ
自分から欲しいとは思わないけど
あ、いや、そんなこともないか
ま、たまにはな
たまには欲しくなるときもあるのよ
だってほら、オレ、オトナだし
第一さぁ、キミたちまだコドモなんだから
関係無いでしょーよ、そんなこと
「タバコ…だよねぇ」
聞いた言葉を反芻する。
鮮やかな匂いの記憶が鼻腔に広がる。
部屋に、空気に。身体に。
染み付いたにおいを感覚器官が思い出す。
同時にじわりと肚の底から、欲求を遂げたあとの充足の心地。
先ほどの不可解を、急速に理解する。
(・・・任務の帰り道、コドモ目の前にしてそれはないでしょーよ。オレ)
思うが遅く、ぐるりと血がめぐりかけた自分を持て余している。
湧き上がり吐きたくなるような劣情が、僅かに息を震えさせて。
「ふ、はは」
乾いた嘲り笑いが漏れた。
欲情したと自覚する。
(ま、好きとか嫌いとかじゃあないけど、)
髪に差し入れた指が今度は熱を持ち始めて。
(リフレッシュにはなるかもねー…)
里に帰ったら、すぐに。
「カカシせんせー、どしたの・・・?」「何ブツブツ云ってんだってば」
振り返ったコドモたちをはぐらかすように、黙って前方を指差す。
風にそよぐ木々の向こうに阿吽の文字。もうすぐそこまで来ていた。
駆け出した色がはしゃぐ。
オトナは浅ましさにため息ひとつ。
快楽へと急くのをなだめ、もうひとつ。
「ほんと、コドモには関係なぁいよ・・・」
コドモたちと、なにより自分に云い聞かせるように、カカシは声に出してそう云った。
そう。
好きも嫌いもそこにはなくて。