※現代パラレル。建築事務所。
朝の空気は露の気配をはらんでひやり。
見上げるに空は高く、上空の風に千切れた雲がふわふわと薄く頭上を漂っている。
緩やかなカーブの続く下り坂、端に立つカーブミラーで先を睨みながらペダルを踏む足に力を込める。
まだ交通量が増え始める前の時間帯であるのをいいことに、いつもより少しスピードを上げて最後のカーブを曲がると、過ぎる季節を惜しんで街路樹にしがみついているセミがうらめしげにひとつ、ジリ、と鳴くのが聞こえた。
午前6時。
地下駐車場の奥のスペースに愛車のクロスバイク・ネコクロ号を止める。
このセンスの無い名前の名付け親はもちろん自分ではないが、日々の行動を共にすればこんな妙ちくりんな呼び名にも親しみが湧くというものだろう。
カカシは今朝もご苦労さんとネコクロの官能的なカーブを描くサドルをひと撫でしつつ、たまにはオマエと緑いっぱいの自然の中を走りたいねぇ、なんてひとりごちてみる。
だって行きがけに、珍しくコイツのブレーキがキィと鳴いたんだ。
それっていわゆる例のあれ、たまにはデートしてよって、そういうことだろ?
「オレもそう思ってんだけどねぇ・・・」
仕事は依頼人あっての商売ゆえ、立場としてはこのところの休みなしにも文句は言えまい。
それでもそろそろ自分にもコイツにもリフレッシュとメンテナンスが要るよねと、いつ訪れるかもわからない次の休日をささやかに夢想しつつ、しかし労働者は今日も汗をかくことになるだろうとカカシは頭の中に今日一日のスケジュールを描いた。
と、ふと気づくと、どうも見覚えのある白の一台が奥に止まっているのが目に入る。
こんな時間にまさか。
しかしほどなく合点がいった。
昨日の雨を思い出したのだ。
同じくこの白のクロスバイク、『シラユキ号』(これもまたいかんともしがたいネーミングであるとカカシは思っている)に入れこんでいるであろう持ち主は、コイツを濡らすまいとタクシーででも帰ったのだろう。
昨夜のあれは、いわゆるゲリラ豪雨だったから。
内階段で3階へ上がりながら、たまにしか使わない鍵をカバンの奥から探り出す。
しかしドアを開けたカカシを出迎えたのは、なぜか今朝、肌寒いほどの冷気。
「・・・やっちゃったのね」
誰だか知らないが昨日の最後にここを出たやつ、エアコンを消し忘れだ。
経理担当のイビキがあらゆる経費の削減をと、ヤツのことだから口うるさくは云わないが、「MOTTAINAI」を見咎められた時には個人宛にメールが送られてくるという噂。
無言の威圧はその顔だけにしてくれといいたいところだが、昨今の風潮だ、無理もあるまい。
あーあと呟き、しかし洒落っ気のありすぎるシャツのぶ厚い貝ボタンをひとつふたつと多く外しながら、それでもつい盛大に安堵の息をついてしまう自分がいる。
一拍おいて苦笑がもれた。
「でも、ま、ありがたいっちゃありがたいよね」
不快なものはと聞かれたら、それは煮詰まった会議と煮詰まったサーバーのコーヒー。
そしてOA機器の熱がこもるだけこもった朝イチのオフィスだ。
結局のところ、自宅マンションから5駅分の距離をジテツーするカカシにとってこの涼しさは幸か不幸かとたずねられれば、それはまったく幸でしかなかった。
(続)
2009/09/15