誰もいないオフィスは当然シャッターも閉まったまま。
 思いがけない快適に出迎えられて真っ暗な中に一歩足を踏み入れたまではよかったが、ゴツンと靴先に固い感触を感じてにわかに足を止める。

「・・・何だ?」

 暗くてよくわからなかった。
 が、通路をふさぐ物体は、一昨日あたりからああでもないこうでもないとアンコが引っ掻き回していた外壁素材のサンプルが入ったダン箱あたりだろうか。

(・・・エアコンつけっぱなし、荷物も出したら出しっぱなし!)

 いつもならため息交じりに足で寄せて済ませるところだが、今日ばかりはそれを良しとすまい。
 まったく、オレのベルルッティに傷でもついたらどうしてくれようか。


 気合を入れて仕事をする日─、
 カカシにとってそれは手ずから設計した図面で契約のサインをもらいに行く日に他ならず、まさに今日こそそんな勝負の日なのだ。
 常勝の願いを込めて着用した足元の一張羅に気遣いつつ、慎重に荷物を避けながら照明のスイッチを押す。
 
 と、次の瞬間。
 
「あ・・・どうも、おはようございます」
「うわぁ・・・」

 ダン箱だと思っていた大きな物体が足元でごそりと動いたもんだから思わず声が出た。

 しかし明るくなった室内で良く良く見れば思わず脱力、律儀にあいさつだけは忘れなかったことは褒めてやろうと思う。
 もしあいさつが聞こえなければ、思いっきり蹴り直してから警察に通報していたところだ。

 見れば、なんとも間抜けな芋虫が転がっている。
 だからそれはダン箱なんかじゃなくて人間で、この男こそ我がオフィスの看板デザイナーのひとり。
 後輩にして同僚、そしていわゆるところの俗に言うオレのアレ、コイビトってやつだ。

「オマエ・・・何やってんの」
「いやぁ、はは・・・、寝へまひた」
 
 答えるかあくびするか、どっちかにしろってんだ。
 緑色の簡易寝袋に包まったヤマトが狭い通路で転がったまま、右へ左へともぞもぞと動いている。
 見かねたカカシはとりあえず言いたいことをグッとこらえて手を伸べ、ヤマトを起こしてやった。

 まったく、その妙に虫っぽい動き止めろ。

「あ、どうもすいません・・・おはようございます」
「・・・オハヨ」
「・・・いやいや、あのですね、ボク今日が締め切りなもんで・・・。昨日はなかなかキリがつかなくて、通り雨もあったし・・・、ついでにあれもこれもとやってましたら帰るに帰れない時間に」

 冷ややかな視線にいたたまれなくなったのか、ごにょごにょと事情説明を口ごもる。
 そしてなんとなく頭に手をやるとヤマトは顔をしかめ、痛てて、と呟いた。
 どうやら先ほどカカシの靴先がヒットしたのは、ヤマトの側頭部だったということらしい。

「あー・・・、悪い。暗くて見えなかった」
「いえいえ、こんなとこで寝てたボクが悪いんです。それに・・・」

 こんな美しい足で蹴られるなら光栄ですね、と足元に目を落とし、半ば寝ぼけたまま妙な色気を含めた笑みを浮かべるヤマト。
 それはもちろん磨かれて艶めくイエローオーカーのベネティアンレザーに対しての賛辞に他ならないのだろうが、内心カカシは思う。
 
 コイツが云うとなんだかいちいち変態くさいのよね、と。

(続)






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2009/09/16