ガヤガヤと賑やかしく出勤してきた面々は、皆一様になにやら香ばしい香りを放っていた。
「あれ、みんな一緒なんて珍しいな」
それになんだかいい匂いがする、と鼻をひくつかせたヤマトに、ひとり苦虫を噛み潰したような顔をした男が答える。
「オレは静かな朝のひとときを過ごすはずだったんだがな・・・」
イビキである。
「あ、例のパン屋ですね?」
「おまえもか。パン屋じゃない、ブーランジェリーと云え」
「はは、そう、ブーランジェリ・・・ いや、いいですねぇ、皆で朝から旨いコーヒーとパンなんて」
「おーはーよーー・・・」
「あ、アンコ、おはよう」
「・・・・・・」
「・・・ん、・・・なんだい?」
「別にぃ?なんでもないのよぉ・・・、ね、イビキ!」
「ああ」
人の顔を至近距離で、ズズイと無遠慮に覗き込んでおいてそれはないだろう。
困惑のまま、ヤマトが助けを求めるようにずらした視線の先では、普段無表情なイビキが凶悪な笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
「止めときなさいよ、アンコったら」
あとに続いてオフィスに入ってきたのは紅だ。
まったくすぐそうやって絡もうとするんだから、とたしなめられると、アンコはそのまま無言でヤマトの肩をバシバシと叩き、
「アンタのせいで怒られたじゃない」
と、お門違いの逆ギレに任せてイビキの背中をど突きながらデスクの方へ歩いて行ってしまった。
絡まれるようなことをした覚えはないが、とヤマトの頭の中のクエスチョンマークは増えるばかりだが、そんなことはおくびにも出さず、まずは目の前の紅へ笑顔を向けた。
「紅さん、おはようございます」
「おはよう、元気そうね。どう?コンペに出すデザインは仕上がった?」
「おかげさまでどうにか。ありがとうございます」
「そう、よかったわ。でも、まだお礼を云われるのは先ね?」
「ええ。良い結果がお伝えできるといいんですが」
「そうね、たのしみにして ・・・アラ」
紫煙の香りをいち早く察知した紅が入り口を振り返る。
そこにはくわえタバコの大柄な男。
「よぉ、ヤマト」
「アスマ、タバコ」
「ん? おう・・・」
「おはようございます。アスマ先輩たちも一緒だったんですか?」
「途中でゲンマとアンコに会ってな、行かねぇかって・・・、オレは仕事があるから遠慮するっつったんだが、コイツが怖い顔するもんだからよ・・・」
「悪かったわね、元からこんな顔よ?」
こっくりと深い秋の果実の色の唇を笑みの形に引き上げた紅だが、アスマを見る目が笑っていない。
しかしここは見て見ぬふりをするところだ。
アスマはといえば豊かなウエーブヘアを揺らしてデスクへと歩いていく紅の後ろ姿を見送りながら大げさに肩をすくめ、まったくうるさくてかなわねぇな、とボヤきつつ携帯灰皿でタバコを潰している。
この人は、こんななりをしているが実は相当な恐妻家なのだ。
「・・・ま、アイツの云うとおり、行って正解だったがな」
「そ、そうですか」
そりゃあよかった、とでも云うべきなのか。
仲のいい夫婦の敷きつ敷かれつの関係に口出しするつもりはさらさらないし、まさか本当のことを云うわけにもいかず、ヤマトは心の中だけでひとりごちた。
(早めに来てもらっても、ボクらも取り込み中だったので・・・)
そういえばカカシさんはどこに行ったんだろう。
そう思って視線だけを部屋に向け、洗面の鏡に向かってネクタイを締めているカカシの後ろ姿を目の端で捉える。
さっきまで・・・
思いがけず味わった甘い肌を思い出し、緩む口元が隠し切れなかった。
ハハハとやましさを空笑いでごまかしながら、ヤマトはコンビニで買ってきたばかりのミネラルウォーターのボトルを傾けてひとくち含む。
しかし結局、アスマの次の言葉で含んだそれを全て噴き出す羽目になった。
「だってオマエらがイチャコラしてんのにオレだけ仕事ってわけにもいかねぇだろ」
「ぶっ・・・ふ!! ・・・げっ、げほっげっほゲホゲホげほっ」
「お、なんだ、図星か」
差し出されたティッシュの箱を受け取りながら、返す言葉も見当たらない。
でも、なんか中身がずいぶん少ねぇなぁ ってそれ、ボクたちだけのせいじゃありませんから!
「おー、すっかりフツーの時間になっちまったなぁ」
スーツのジャケットを脱ぎながらオフィスに入ってきたゲンマが壁の時計を見ながら云ったひとことにも、この際だから無駄に反応してしまう。
「あ・・・、あの、」
「おう、なんだヤマト」
「いや、・・・えーっと・・・おはようございます」
「報告ならあっちで聞くからな、カカシさん呼んで来いよ」
そう云ってゲンマが親指を向けた先、ボスのデスクの前で、一体何を報告させられるというのか。
(続)
2009/09/28