「問題は・・・、なさそうだな」

 悪くねえよ、と細いメタルフレームの奥、鋭く眇められたゲンマの瞳から険しさが消えたのを見て、ヤマトはホッと胸を撫で下ろす。
 個の集まりとはいえ、オフィスの名を背負って出るコンペだ。
 齢若いヤマトにとっては今はそれが何よりのプレッシャーであり、だからこそボスのお墨付きは頼もしい。

 安堵のままに、黙って自分たちのやりとりを聞いていた隣の男の方を見る。
 気づいたカカシとニコリと笑みを交わす。
 同僚としての励まし、ぽんと背中を押されるような実(じつ)のある笑みに、ヤマトは小さく頷いて膝の上のこぶしに力を込めた。

 これで。

「最後、なんだな?」
「・・・はい」

 表情を引き締め、ヤマトは答えた。

「聞きましたか、カカシさん」
「うん、聞いた」
「・・・そりゃあこっちとしてはな、願ってもない話だ」

 そう前置きをしてゲンマは椅子を引き、脚を組み直した。
 それから指でトントンと2回机を叩いたのは、言いづらいことを話すときのゲンマのいつもの癖。

「おまえさんがそれでいいってんなら構わない。元々うちの事務所は個人住宅向けの看板出してんだし、仕事なら腐るほどあるんだ。・・・但し、何度も云うようだが今までとはペイがだいぶ変わる」
「構いません」
「・・・、・・・構わないんですか?」
「オレに振らないでよ」

 カカシは苦笑した。


 コンペに出るのは今回が最後です、とヤマトに告げられたのはたったの数時間前。
 何故、と訊ねてもヤマトは口ごもるばかりで、挙句の果てには、ちょっと黙って集中してくださいとキスで口を塞がれた。
 もちろん、コトの最中の話である。
 なにもあんな時にとカカシは思い返してはふたたび厭きれた。
 が、首筋をしつこく舐められ、ソファの隅で身動きも取れないような恥ずかしい体勢に組み敷かれながらでは反論もままならなかったのもまた事実。

 思い出し、また頬が熱くなるから始末に終えない。

「ま、小さなハコでも仕事の難しさは変わらないけど」
「それはわかってるつもりです・・・!」

 身に覚えのある疚しさに知らない振りを決め込むこともできず、いくらか牽制するようになってしまうカカシの物言いに、ヤマトが語気を強める。

「ただ、いつまでもマクロばかりは・・・ここ数ヶ月考えて・・・足を地に着けてやっていくほうがやはり自分らしいと・・・」

 チラとカカシが横を見ると、ヤマトはうつむくでもなく顔を上げ前を見ていた。
 言いよどんだ言葉の先は聞こえなかったが、見据える先、そこにある意思の輪郭は明瞭のようだ。
 しかし、なぜ顔を赤くする必要がある?

「ま、コンペ仕事をなくしたからってやるこたぁ山ほどあるんだ。そうそう休ませてはやれねぇぜ?」

 ニヤリと笑ったゲンマがおちょくるように云った。

「も、もちろんです」
「・・・何、ヤマトおまえ、休みが欲しくて正規部隊に転がろうとしてるわけ?」
「そ、そういうわけじゃないんです・・・、ボクは」

 カカシにもあきれ声で問われて、視線を彷徨わせるヤマトに、要らぬ助け舟を出したのは他でもないゲンマだ。

「時間が欲しいんですとさ」
「時間?・・・何の?」
「ゲンマさん、ちょっと・・・!」

 意味深な数秒の沈黙。

 しかし、野暮はやらねぇよ、と話を振ってきた本人がいちばんに目を逸らし、そのままデスクトップを見てひとこと。

「カカシさん、ほら、時間。10時に現地ですよね?」
「え、あ、そうそう・・・わ、もうオレ行かなきゃ」
「じゃ、じゃあボクも」

 三人はそろって立ち上がる。

「ヤマトはそれ終わったら上がっていいぞ。 カカシさん、決めて来てくださいね。頼みましたよ」
「ゲンマくんも見たでしょ、あの図面。まかせといてよ」

 涼やかにその整った唇の端を吊り上げて、嫌味なほどの余裕の笑み。
 本人に自覚があるかは知らないが、それは何よりも大きな力を得たカカシの自信の表れにも見えた。
 静かではあるが、力のある目つき。
 先ほどまでの猫背とはうって変わって、すぅと背筋の伸びた立ち姿にゲンマは目を細め、そして。

「カカシさん、ここ」

 トントンと2回、自分の襟元の首筋を叩いた人差し指をカカシに向ける。

「ばんそうこうなら救急箱ん中ですよ」
「?」
「猫を飼うならちゃんと躾けておかないと」
「え・・・、・・・あっ・・・!!!」


 洗面所に駆け込むカカシの靴音で、朝の作業に取り掛かっていた面々が一斉に顔を上げた。
 そして、近来の快事とばかりにニヤニヤと笑うゲンマを見て察すると、皆が皆、その隣で立ち尽くしているヤマトに目で訴えかける。


 犬も喰わないものを喰わされてたまるか、頼むから外でやってくれ、と。

(続)






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2009/10/02