「カカシ、先輩・・・っ」
まずは重い荷物を収めてしまおうと車のキーを操作していたところに、パタパタと足音を響かせてヤマトが3階から駆け降りてきた。
「・・・何よ」
「あの・・・っ、ちょ、待ってください」
「・・・」
最後の数段を蹴り降りた姿にチラと一瞥くれて、カカシは構わずに出発の準備を進める。
「ええっと、あの・・・すいません・・・」
「ああ、ホントだよオマエ、みんなの前でエラい恥かかせてくれちゃって」
その長躯を折りたたむようにして、狭い営業用ワゴンのバックシートに資料だのサンプルだのと大荷物を収めながら、カカシは車のドアの向こうに立つサンダル履きの男へ向けて悪態をついた。
まったく、なんなんだ、と。
健康サンダルのまま外に来るの止めなさいよ、カッコ悪い、とも。
しかし、
「いやぁ・・・」
と伸びた調子のいらえがあったきり、すぐ後ろにいるはずのヤマトから反省の弁は聞こえない。
途端に居心地が悪くなる。
当然といえば当然なのだろう。
なんといっても自分は、カカシだって共犯者なのだ。
だから話ぐらいなら聞いてやるよ、と見当違いの尊大さを腹に据え、カカシは頭をぶつけないようにと狭い車内から慎重に後ずさって車外に出ようとした。
と、そこでふわりと大きな手に頭をかばわれる。
驚いて振り向くと、なんとくやしいことに躾の行き届かない黒猫は、またしても気づかぬうちにぴたりと寄り添い、真後ろにいた。
そしてなんとなく腰を突き出しているのは・・・オマエ、こんなとこでそれはないだろ。
(・・・この、変態め!)
カカシが睨みつけるもどこ吹く風。
そんな格好をしてるから誘ってるのかと思いました、と真顔で言い放つから始末におえない。
「・・・ギリギリ隠れる辺りを狙ったつもりだったんですけどね」
そう云いながら伸びてきた手が不意に首筋に触れるのも、起こしかけの不自然な体勢を、車体とドアとヤマトの身体にすっぽりと囲われては防ぎようがなかった。
件の痕を隠すばんそうこうを撫でて、ヤマトの手はゆっくりと離れる。
そしてもういちど、すいません、と。
本当に、なんなのだろうかと思う。
時々に理解が及ばないこの男の行動の源は一体、何か。
仕事を減らす。
時間が欲しい。
久しぶりにふたりきりで話が出来たというのに、何もかもが自分には唐突すぎた。
しかし今、何しろ雄弁に物語るのはカカシの目の前、後悔はしていないと云わんばかりに緩みに緩んだ、晴れやかなヤマトの笑顔。
「・・・勘弁してよ」
云ったものの、腹を立てることなどできようはずがない。
あのときのゲンマのひとことは全く余計で、全くの野暮。
が、紛れもなくヤマトの行動の、すべてのヒントだったのだ。
柔らかなフェザーのクッションに埋もれながら、浅く深く繋がって。
ふたり分の荒い呼吸と、滑らかな黒革の軋み鳴る音、そそと響く衣擦れの音。
食事を終えて飛び立つ鳥が揺らす梢のざわめきに、時々に意識を引き戻しされながらも、いちばん近くの身体で聞いて、いつまでも止まらなかったのは絡まる舌、キスの水音。
そんな中に混じって熱い息を吐いたヤマトの、切れ切れの好い声はカカシの耳元で確かに云った。
「もっと、ずっといっしょにいたいから」と。
「ボクの願いが、あなたの願いと同じだといい」、と。
カカシの身体を、ヤマトが手を伸べ引き起こした。
「・・・ありがと」
朝とはまるで逆だ。
カカシはひとり気づかれないように笑みを含んだ。
「2週間後に帰ってきたら、無理云ってでも休みをもらいますよボクは」
「そのころにはオレが忙しかったりして」
「え、ええー・・・そんなぁ」
「・・・いい報せ、期待してるぞ」
「もちろんです、先輩も・・・」
あああっ!!と、ヤマトが素っ頓狂な声を上げたのはそのときだった。
「・・・!? 何?どうしたのよ急に!」
先輩、車、乗って乗って!! と急かすヤマトに、カカシはわけもわからないまま運転席へ押し込まれた。
早く早く、と云われるままにキーを回す。
「あ・・・っ、あーーー・・・よかった・・・」
「はぁ?なんなの?どしたの?」
「ほら、時計、見てくださいよ」
『 09:15 』
インストルメントパネルのデジタル時計はたしかにそう示していた。
それを指差したヤマトの表情もまた、してやったりの満足顔。
「縁起がいいじゃないですか」
「何が?」
「915、915! 9月15日の9時15分です」
「・・・」
やはり結局この男について、カカシにはまだわからないことは多いのだ。
大事な仕事の朝のはずが数々のめまぐるしさに見舞われて、カカシはひとり発進させた車の中で盛大にため息をつく。
緩やかなカーブを描く上り坂、端に立つカーブミラーを見ながら速度を緩め、バックミラーに目をやると。
そこには、こだわりの健康サンダルを履いてつっ立ったまま、なにやら携帯をいじっているオレのコイビト。
助手席の上着のポケットで、携帯がメールの着信を知らせている。
『 9時15分に夢中で云い忘れました 誕生日おめでとうございます ヤマト 』
パッと見て、プッと噴き出す。
携帯はそのまま、ポイと助手席へ放り投げる。
『パッ プッ ポイ』のそのわけは、ヤマトならきっとわかってくれるだろう。
なにしろすでに戦闘モードだ。
返事は、イタリアから吉報が届いたあとでいい。
帰国前に訪れるべき靴屋のリストをあわせて送ってやろうと思う。
もちろん、カカシ自身の靴のサイズもしっかりと書いて、だ。
そんなことを考えながら、今日一日、ひいては未来への好ましい予感にカカシの胸はまたじんわりと温かくなる。
願いは同じ。
これまでも、これからも、ずっと変わらずにふたりのあいだにある願い。
なぜならあれは所有のしるし。
ネクタイを締めようと向かった鏡の中、自分の首筋に残る赤い痕を真っ先に見つけ、それを許したのは、他の誰でもないカカシ自身だったのだから。
(了)
2009/10/06