と同時にふたつ、救いようのない大きな溜め息が空気を揺らした。
ひとつの主は執務室の机に頬杖をつき、ぼんやりと。
ひとつの主は執務室の扉のすぐ外に立ち止まり、これまたぼんやりと。
事の起こりは、ほんの数十分前。
−−−−−−
って、ええぇ そ、その話は本当…ですか。 い、いいんですかそんなんで。 いや、オレはいいとか悪いとか何というか別にあれなんですが。
いやでもだって、ほらあのなんつうかその、そういうのってほら、でも…、えええ?
…ま、元上司の責任っていうのももちろんわかりますが、それにしてもなんでオレ… 特権? 職権濫用していいって あの、そういう云い方は・・・ こう見えても見境はあるほうなんで・・・。 第一オレそういう趣味はないです、し。 …え? ああ、ハイそういう問題じゃないってねハイハイわかってますすいませんはい、はい。
しかし、本人の意思を尊重しないとあとあと面倒なんじゃないですか。あの年頃のコはとくに。それにあそこは代々忍の家柄でも無いですし。 は? 本人の意思も確認済み? そ、そうなんですか? ええ?親御さんも? じゃ、じゃあばったりおかあさんに出くわしたりしたらオレどういう顔すればいいんですかね… いや笑い事じゃあないですよホント…
ま、まぁ今回に関しては?本人が言い出したんですから? そりゃあそうでないとこちらも困りますが…。
ええ。はあ。まあそれなりには…。 ま、そういうことに関してはオレも暗部に長くいましたし、それなりの技術は持ち合わせているつもりですけど って
…なんて事云わせるんです… もう三十近いですしそれなりにいろいろ、その辺は…、安心してとかいうのも何か変ですけど、あ、イヤイヤこっちの話です。
そうですねぇ、苦痛を味わせるのは不本意ですし、甲斐性なしなんて云われるのも、辛いですねぇははは…(溜息)
ま、せっかくあのコがやる気になってんですから、そりゃもう気概を殺がないようにやりますけど、逆にオレが萎えちゃったりして… ってああすいませんすいませんああいやいやそんな怖い顔しないで下さいよ。 ほら、あ!五代目! お茶ですよお茶。 シズネ、ナイスタイミング!
ええ、わかりました。はい。了解…しました。 ひいては里のために。 …しかしまあ房術のスペシャリストということは、あのコも行く末は暗部ってとこですかね。 ハ、元上司としては大変光栄なことです。 はい。
ええと、もう…、よろしいですか。 ではこれで。
−−−−−−
「こんなこと、あいつに任せて大丈夫なんだろうかね、シズネ」
他に頼める奴もいないしねぇ、とぼやく女傑の顔は明らかに己の決断に訝しげだ。
シズネはシズネで歯切れ悪く、もはや可もなく不可もなくといった視線を返すしかない。
「全く…見ず知らずの者が相手になるよりは、本人も安心すると思いますけど…」
「こんなことオレに任せて、いいんですかね五代目」
他に頼む奴もいなかったんだろうなぁ、としか思えない。
「万一知れたら、オレは化け狐のエサだね…」
身のため、世のため、人のため。
一切の口外無用と心に決めると、うれし悲しの隠密を握った手をポケットへとつっこんで、カカシはもうひとつ、大きく息をついた。
大人ふたり。
天秤にかけるのは、貫くべき己の師道と、少女の忍道。
大いなる親心と、ちょっとした下心。
「ま、未通女(おぼこ)に房術指南も何もね、あったもんじゃあないからね。」
どうせいずれは捨てるもんだし と軽く嘯き、机の上に投げ出した足の爪紅の真紅に目を細める。
「やってみなきゃわからないってもんだ。案外いいかもしれないよ?シズネ。賭けだよ、賭け。はは」
乾いた笑いを聞いてシズネも頷くしかなかったが、その顔に貼り付いた一等苦々しい笑顔を見て見ぬ振りしたのは綱手のほうだ。
「ま、やってみなきゃわかんない、か。 なるようになるでショ」
ポーチからいつもの本を取り出して、薄暗い廊下を歩き出す。
頁を開くと、ちょうどそこには初夜を迎えた男女がぎこちなく睦みあっている場面。
「・・・それにこんな機会は滅多にないし、か」
誰も見てはいなかったし、第一こんなときにこそ口布は重宝なのに。
カカシは歪む口元を本で隠した。
(我ながら切り替えが早くて…得な性格だァね)
―――とりあえずお互いにとっての最善策を練らなきゃならんな、サクラ。
虚し笑いと、 独り笑いと。
その頃、当の本人は。
「初体験でいきなり妊娠なんて…ダメダメ嫌嫌絶対にイヤ! しかも相手は…って、うわああぁ!! 混乱してる場合じゃないっ もう! 思い出さなきゃ…」
月のものが終わった日を思い出すのに必死。
さあさお立会い、alea jacta est!
最後に笑うのは、誰だ。