「ああ、キミは確か、紅さんのところの」
「その言い方には若干の語弊がある・・・なぜならオレは、もうとうの昔に中忍となっているからだ」



夏の顛末 〜夕〜



「・・・確かにそうだね、悪かった」

 肩をすくめて詫びの様子を表し、ゆっくりと向き直る。

「動くなといったはずだ」

 よほど機嫌を損ねたのか。
 確か、蟲遣い。
 油女一族の、たぶん シノ とかいう名のそのコ(ボクにとってみれば、彼は未だ、若い)は、襟の高いコートの奥から濁りない声で僕を制した。

「オイオイ、穏やかでないね」
「・・・物騒だと思わせたのなら、すまなかった」
「ボクに何か用かい?シノ」
「背・・・いや、肩に」
「肩?」

 あごを引き、自分の右肩、背に近い方に首を回す。
 そこに見えたのは、6本の脚がしっかとベストを掴みギロギロと黒光りする硬い甲、二本のごつい角。 しかも、それが3匹も。

「うっ、 っわ」
「ヒノオオクワガタ」
「え・・・?何て?」
「こんな人里でそいつを見るのは珍しいことだ」
「めずらしいって、キミ、これ・・・うわっ」

 目があった(と感じられた)瞬間、そのうちのいちばんデカい1匹が角を振り上げ、ベストの生地をごそごそ言わせながら顔の方に突進してきた。
 魚眼で見たように迫るそいつの迫力に、思わずボクは鳥肌を立てる。

「もしそれ以上そいつらを必要としないのなら、オレが責任を持ってそいつらを預かり、適した住環境に返してやることもできるが」
「あ・・・っああ、頼むよ」

 満足そうにうなづいたシノは素早い動作で手を伸ばした。
 その動きとは裏腹に、存外やわらかな手つきでボクの肩から3匹の虫を取り去る。
 そしてどこから出したのか、折りたたみ式の虫カゴを広げ、手早くそいつらをしまった。

「それにしても、こりゃ・・・でかいね」
「ああ。珍しいやつらだ。昨今、こいつは外つ国のマニアのあいだではひどく高値で取引されている」
「へぇ。いくらぐらいになるんだい?」

 何気なく訊いてしまったが、虫を愛する彼には面白くない話だったのかもしれない。
 森を荒らす者もいる、虫達にとっては迷惑な話だ と言ったきり、シノはカゴをかばうように抱えなおした。

「んー・・・?こんなとこで仲良くなにやってんの、キミたち」

 忽然と現れた待ち人が、背後からシノの手元を覗き込む。
 ギョッとしたのはシノだけではない。ボクだって、心臓が口から飛び出そうになった。

「うっわ、カッ、カシせんぱいっ、なっ、気づかなかった・・・っ」
「・・・どうも」
「やぁシノ、久しぶり。 で、何、テンゾウはオマエ虫捕りにでも行ってきたの?」
「なっ、違いますよ、こいつが」

 このクワガタが勝手にくっついてたんです、シノにとってもらったんです、そして何度も言いますが今はヤマトで云々と説明すれば、カカシさんはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「へーぇ、そうか。テンゾ、じゃなかったヤマトに虫が、ね。 ま、オマエっていい匂いさせてるもんねぇ」

 はぁ?
 突然何を言い出すのか。ボクが、いい匂いがするって?

「なんていうかこう、ねぇ? シノならわかるでしょ?」
「ウム・・・実はさきほどから我が体内の蟲共が騒いで仕方がないのだ」
「え、・・・ええ?? な、何言ってるんだいシノ、先輩も」

 本当に、何を言っているんだ。
 ボクは今日、この待ち合わせ→久しぶりの逢瀬のために、任務の後に一度家に帰ってひとっ風呂浴びてきたばっかりなんだよ!
 忍御用達の体臭を消す石鹸でありえないところまで隅々洗ってきたってのに、匂うだなんて、そんな!

「そそられる匂いだよねぇ」
「身体中の血が騒ぐようだ」
「ちょ、ちょっと、ふたりとも、何を・・・」

 俄然バリタチの顔になって口元をモグモグさせているカカシ先輩(この人は興奮すると口をモグモグする癖がある)から視線を逸らしてシノの方を見れば、色の濃いサングラスと目深なフード、口元を覆い隠す襟元のおかげではっきりとはわからないが、ちょ、シノ・・・キミ奇壊蟲・・・鼻から奇壊蟲出てるのは何だいそれ鼻血の代わりなのかいっ?!!

「ちょ、ちょっと待って。 ボク、何の匂いがするっていうんですか」

 攻めのふたりを前に、いよいよどうにかされてしまいそうでボクはたじろぐ。

「何の匂いって・・・」
「何と言うべきか」
「そうだねなんていうか、森林浴的な? こう、材木屋の前を通ったときみたいな、いーい匂いよ」

 いーい匂いってカカシさん、それ、オガクズですから。
 うれしくないボクをよそに、シノは鼻から出続ける奇懐蟲を気にし始め、話は続く。

「なんかすがすがしくて、それでいて甘いような、さ。 それって、オレ前から思ってたんだけど、木遁のせいなの?」
「知りませんよっ ていうか材木屋て。初代様が聞いたら怒りますよホント」
「なるほど・・・こいつらが、そして先ほどのクワガタのような大型の甲虫類が好むはずだ・・・なぜならこの匂いは」

 シノが辺りを匂うような仕草をして言った。 クヌギの樹だ、と。


 無抵抗で言葉嬲りを受けていたボクは今までのことを思い出し、どうしたって苦い顔になった。
 実を言うとこんなことは初めてではなかったから。
 昔から、どういうわけか虫に好かれるタチだ。
 蚊に食われるし、蝶が舞い飛ぶし、蜂に追われることもある。
 昨日買ったキャベツからは青虫が出てきた。
 そしてこれはついこのあいだの話、任務で短冊街に出向いたときの話なんだけどね――


「やだぁ・・・ちょっとアレ・・・」
「うっわ・・・」

 気づけば、道すがらにすれ違う人たちのささめき声は、まさかとは思ったがどうやら自分に向けられているようだった。
 歓楽街に相応しくない、無粋な忍服で来たのがまずかったか。いや、でも仕方がない。任務中なのだ。
 隣を歩くサクラが立ち止まり、なにやらポーチをごそごそと探っている。ボクはかまわずに歩を進めた。
 照り付ける日差しと人混み、間近に聞こえるセミの声。
 ナルトとサイは先へと歩き、もうすでに人波に姿が見えなくなってしまっている。
 なかなか追いつかないサクラに焦れて振り返ったのは、耳をつんざくような金切り声とほぼ同時だった。
 サクラがボクを指差し、わなないている。

「いやぁぁ!ちょっと隊長、背中!!」

 汚らしいものを非難するような、暑さを助長させるその声に忌々しい気持ちになりながら、ボクは自らの背を確認した。
 ビビビビ と暴れ羽ばたいてゆく何者かが手に触れ、ぽとぽとと地面に落ちたそれは結構な数の大小。
 ボクの背中に、カナブンとセミがひしめき合っていたっていう、 ・・・ね!

(ボクはオトナだからつとめて明るく振る舞うが、これは非常に残念な話だ)



 ・・・しかし今日はなんだい?クヌギだって?知らないよそんなのは!どうしろっていうんだ。ボクにどうして欲しいんだキミ達は。

 おもしろそうに僕を見ていたカカシさんが、ボクの方に近づいてくる。それはまるでボクの胸元に飛び込んでくるかのように。
 咄嗟にいつものクセが出て、ついその細腰へと腕を回してしまったボクが、しまった今はシノがいるんだった、と思った時にはもう遅かった。
 過ちの腕の中にわざと素直に納まったカカシさんが、通り抜ける風のようにボクの耳元へと囁く。

 オレ、この匂い好きよ。 あとでいっぱい嗅がして頂戴 と。

 その行動、最初は理解しがたく、じわじわとその破廉恥さに、それでも笑うべきか怒るべきかわからずに、ボクは引きつった笑顔で固まった。
 するりと抜け出したカカシさんが朗らかに笑う。

「久しぶりだしホラ、ヤマト、ぼけっとしてないで行くぞ。 シノも、よかったらおいで」

 馴染みの小料理屋に向けて悠然と歩き始めるカカシさんの背を、ボクはただぼんやりと見つめるしかなかった。

 久しぶりのふたりきりだってのに、何てこと言うんですかセンパイ とか
 いい匂いがするのはあなたのほうですよセンパイ とか
 あなたが誘われてくれるなら、材木の匂いでもいいかな とか

 沈む気配を見せない午後の日差しが煮立てた脳は、そんなことを考えている。



「虫だけに、bug・・・bugger、といったところか、まぁそれならオレも人のことは言えんがな・・・」

 隣で何か言ってるのは、ああそうか、シノ、何だい?

「え・・・あ、悪い、何か言ったかい?」
「いや」
「あ・・・じゃあシノ、カカシさんもああ言っているし、もしよければキミも一緒にどうだい、晩飯」

 こんなとこを見られて、取り繕うために出た自分の言葉にも実際舌打ちしたくなった。 が、言ってしまったものは仕方がない。
 呑み屋だけどメシも食える、旨いよ、とボクはシノをもう一度誘った。

「・・・野暮は無用だろう?」
「野暮、って・・・ハハ、な、何言ってるんだい、ボクとカカシさんはそ、そんな仲じゃないよ」

 空々しい笑いを、このコはどう捉えたか。
 サングラスの奥の、どうやら色素の薄い瞳が、西日に照らされてわずかに透けている。
 シノはしばらくじっと考える様子を見せて、ふいとボクから目を逸らした。

「邪魔でないならば・・・そうさせてもらうのも悪くはないと思っている。何故なら今日は家に帰っても両親は不在、ひとりで一楽にでも寄ろうと思っていたからだ」
「ああ、そうかい。じゃあちょうどいいね」

 回りくどい言い方は、生来のものか、それとも少年の照れ隠しなのか。

「それで、だ。 もし・・・、もし都合が悪くなければの話だが、今度、昆虫採集に一緒に行ってはもらえないだろうか」

 ボクが、クヌギ、だからなのか。それとも晩飯の誘いの礼のつもりなのか・・・?
 オレの連れはどうにも騒がしくてなかなか虫が寄り付かないのでな などと続けたシノの声を聞きながら、ずいぶん遠くなってしまった人を見遣る。

「まあ、ウン・・・考えておくよ・・・じゃ、とりあえず行こうか」

 ぽん と肩を押して、ボクとシノはカカシさんの長い影を追って歩き出した。
 勃然としてしまったボクは早く彼の人に追いつきたくて、茜火に燃える姿にふらふらと誘われる自分は夏の虫のようだ。


 シノの肩から斜めに下げられたかごの中では、虫たちが黙って揺られている。
 闘争的だったり、静かで思慮深く見えたり、似ているな と、ボクは思った。












2008/08/21

(本能の追うがまま)
(【bugger】(英卑) 男色 また、それを行う者)


→→→  『 夏の顛末 〜夜〜 』











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