自分には珍しく、世で言われる『出勤時間』に受付へ出向いた今朝のこと。

 休みの申請をしたつもりもないのに、今日のオレ宛の依頼は一件も無かった。
 お呼びのかからないまま午前中を過ごし、昼飯を食い、もういちど受付へ立ち寄るも何事もなし。
 今さら帰っての自宅待機も面倒でだらだらと此処、即ち上忍待機所で時間を潰していたオレを人は里の誉れと呼ぶ。

 そして目の前の災難、未だ去らず。

「精神の怠惰は人を殺す ってホントねぇ」
「ね。目がシんでる」
「キミたちあのね・・・」
「どうせヒマならカカシも一緒に行く?温泉」
「ま、連れてかないけどね!あっははははははは」

 さらりと繰り出される社交辞令に間髪入れず返そうとしたノーサンキュー。
 しかしそれより早かったアンコの氷のツッコミは割れ鐘のごとき自分ウケの爆笑を伴って、がやがやと賑やかしい上忍待機所にもはかばかしく響き渡った。

 不協和音もいいとこだ。

 周囲の耳目を集めるのを気に留めるでもなく、じゃあね、と手を振って言いたい放題のふたりは去ってゆく。
 後ろ姿はそれぞれに隙のない均衡で、オレは黙ってそれを見送った。


(だからこれは強がりとかじゃなくて)


 要らぬ情けは受け取らない主義だってことなんです、けど・・・









「・・・ねぇ、」



「・・・・・・は?」



 やりとりが聞こえてなかったはずもないのに相変わらず冷たい。
 さっきはチラッと見ていたくせに。
 だいぶ前から対面に座っていた男は新聞から目を上げ、さも不機嫌そうに咥えた千本をだらりと下げた。

「なんスか・・・?」
「おんせん。年末、あいつら温泉行くんだって」
「あぁ・・・らしいですね。結構なことで」

 興味なさそうに空うなづきをひとつ。
 長い脚を周到に納めて、しっかりとソファの上に胡坐をかいたゲンマが再び新聞に目を落とす。

「ゲンマくんは年末、仕事?」
「や、そうでもないですよ・・・」
「じゃあ休み」
「そうですね」
「いいなぁ」
「そうすか」
「温泉ね」
「ああ」
「この辺だとどこがいいかな」
「何がです」
「温泉」
「・・・何で」
「行くから」
「誰が」
「オレとゲンマくん」
「・・・」
「・・・(ニコ)」
「巻き込まんでください」
「ああん」

 可憐な声を出してみせたら、眼光鋭く睨まれた。
 こういう類のナンセンスは不向きらしい。


 今年の年末年始の不規則な(それでいて平和な)任務に駆り出されているのは、多くは下忍中忍を中心とする班単位。
 昼過ぎに行った受付で世間話ついでにそう聞いた。
 そういえば待機所に、そして受付にウロウロしている者は大勢いるが、よく見れば忙しそうにしているのは若いやつらだけだ。

(若者の育成、チームワークの強化・・・)

 そして老兵は休めるときに休ませる。
 平時の里の方針に、そしてまさに自分も勘定の内だという事実に、ひとつ小さく息を吐く。







 目は再び文字を追いながら、聞こえてくるのは忙しい足音、話し声。
 ストウブにかけられたヤカンの松風。
 はす向かいで繰られる新聞紙の乾いた音。

 今日しもあれ、御用納めである。
 明日からの休みに消化すべき予定は思い当たらず、あるのはヒマという名の時間だけだ。
 寒風の中、フラフラと出歩く酔狂もあるまい。
 しばらく掃除もしていない自室で過ごすにしても、手元にあるのは繰り返し読みすぎて角の丸くなった文庫本だけ――。

 そんなことを考えているうち、まぶたは緩み、あっけなく眠りに落ちそうになっていた。

 やれやれだ。
 まず初日は寝だめかね、と休みの予定をひとつ入れたところでふと目をやる。
 窓の外、年の瀬の曇天はいつのまにかそのとばりの裾を夜色に変えはじめていた。




 身震いひとつ。
 よっこらせと、忍にあるまじき呟きで身体を起こす。
 くあぁとひとつ吼えた声に若干驚き、声をかけた。

「さて、と・・・ゲンマくんもおしまい?」

 伸びをしたゲンマも畳んだ新聞を手に立ち上がる。

「いや、あとひと仕事残ってるんで」
「そっか・・・じゃあ、ね、悪いけどオレはお先に」

 よいお年を、と続けるはずだった。

「・・・年末ァ野暮用、ですがね」

 訊ねもしないのに与えられたのは、どうやら先ほどの会話の続きらしい。
 出口に向けた足を思わず止める。

「あー・・・・・・そうなの」

 でも、「里はずれの別邸にちょっと」ってのはソレ、女のとこってことじゃあないのか。

 そんなことオレに言ってどうする?
 わざとでもない心からの白け顔を隠しもせずに向き直ると、ゲンマは黙ってオレの反応を待っているようだった。




 考えるのは、この微妙な間合いの何ぞや。


 しかしそうしているうちに低回転のアタマが気の利いた答えをはじき出せないでいるのを見て取ったのか、じゃあお疲れさんでした、と新聞を持つ手を軽く上げたゲンマが背を向ける。
 ゆったりと人を分けて歩き、その姿が奥の特上執務室に消えるまで、また黙って見送った。





 追いすがって、どういう意味かと質せば聞かせてもらえただろうか。
 いや、そうでもないだろう。

 だってきっと知っている。
 雄弁は銀、沈黙は金、だ。

 歩き出す。



「だから言ったでしょうよ、オレ」

 小声で呟き、じわじわとこみ上げてくるのに平然とした顔を保つのも難しい。
 おもしろいよね。
 要らぬ情けは受け取らない主義なんだ。




『なんならカカシさんもご一緒に』  ってのは、それ、ねぇ、どういう意味?



(続)











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2008/11/20

(試されるのは嫌いじゃない)









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