黙っているのもおかしいが、かといって特別に面白い話題を携えてきたわけじゃない。
しかし話すこともないので、素直にこの状況への疑問を述べる。
「こんなの、はじめて着たけど」
「俺も、男がかっぽう着ってのは初めて見ましたよ」
「・・・実際どうなのコレ」
「まぁカカシさんそう言わずに」
わりと似合ってますよ、なんていうあまりうれしくないフォローと一緒に固く絞った雑巾が放られて、オレはそれを片手で受け止めた。
「似合うって言われてもなぁ」
「いいじゃないですか。嫁さんにしたいぐらいですよ」
「誰の」
「・・・・・・誰かの」
その無責任には、いつか本気でバチがあたればいい。
こっそりとのぞきこんだ姿見が突きつけてきた現実は受け入れがたく、愕然とするオレをそのままに、ゲンマはそそくさと隣の部屋へ逃げていった。
部屋は二間続きの和室だった。
飾り気のない床の間。
色あせた、それでもきっと手入れを怠らなかったことがわかる、清潔で艶のあるなめらかな畳。
ゲンマに指示された通り、オレもさほど広くもない板張りにのろのろと雑巾がけをはじめた。
『端から端まで一気に拭くべし』と。
そう教えられたのを思い出すがあれもずいぶん昔だ。師か父か。友だったか。
後ろに伸びる拭き筋が乾き、日なたに干されたような匂いが冷えた鼻先をくすぐっては消える。
縁側は古く、ところどころは木の節が抜け落ち、年輪の艶が深い。
それにしても寒いはずなのに、なぜかこの場所はあたたかだ。
鳥のさえずり。枯葉のささめき。
後ろでは小気味よいから拭きの音。
ああ、今ここで干したての布団なんかかぶって昼寝をしたらどんなに気持ちがいいだろう・・・。
「住み着くつもりもないけど潰しちまうのもアレ、まぁ年に一度くらいはここも小ぎれいにしといてやんねぇと」
云々、彼岸へと飛びかけた意識を低い声が撫でていく。
落ち着いた心地の声は聞かせるでもなしに語るから、聞くともなしに聞きながらこちらも口をはさまない。
磨き上げた床柱にもたれて考えるのは、やはり無駄なことは喋らないのがいいということだ。
雄弁は銀、沈黙は金。
うん、とか、ううん、とか次第にあいづちまで曖昧になって。
(あーあ・・・あんなに眉間にシワ寄せちゃって)
美しいしかめ面をぼんやりと観賞していたら、どうやらそれは自分に向けられているらしい。
「どうやったらそこで寝そうになれますかね・・・」
「ちょっと休んでただけでしょ。ねぇ休憩、ほら、お八つにしようよ」
ゲンマはそう言うオレを見て、渋々といった様子で立ち上がる。
「これあげますから」
もうちょっとがんばってくださいよと、伸びてきた手が肩を抱く。
アゴをとられ、逃げるひまもなく唇を塞がれ、無遠慮に這いこんでくる舌がひどくこってりと濃厚に・・・。
何の名残もなく身体を離したゲンマがニヤついている。
「甘いのは苦手でしたっけ」
何の罰ゲームか。
眠気は吹っ飛ぶわ甘ったるいわ、すべては無理に押し込まれた梅ミント味のせいだ。
「・・・黙って働くのにはちょうどいいよ」
そう言って精一杯ニヤニヤし返してやったけど、乱れた脈に知らないふりをされるのもなかなか癪なものだ。
畜生。
そして吹きつける風の冷たさは増し、酉の刻。
午前中丸々かかって張り替えたという障子を戻し、縁側の鎧戸を閉める。ずいぶん懐かしい感じのする分厚いカーテンを引く。
居間にはいつの間にか小さなコタツが出され、その横ではゲンマが炭桶から火鉢へ炭を入れていた。
「オレ台所使いますんで、カカシさんは・・・」
「ねぇ、オレ風呂入りたい」
「・・・薪割り、します?」
「まきわり・・・」
素晴らしき哉、肉体労働。
報酬を得るまでにその道のりのなんと遠いこと!
果たしてオレはあたたかな湯船の誘惑には勝てず、勝手の小窓から漏れる灯りを頼りに物置でごそごそとナタを探している。
まさに毒を喰らわばなんとやら。
手甲を、というかもういっそフル装備でくればよかったと思うも後悔先に立たずだ。
積んであった薪の山が半分になるころ、指はかじかみ、額にはじっとりと汗が滲んだ。
ますます風呂だ。本末転倒だ。
しゃがみこみ、こちらは慣れたもの、火遁の印を組む。
細く長く吐いた息に、火口がわりの新聞紙は瞬く間に火に包まれた。
やがて小枝が爆ぜる小さな音を確かめて、オレは焚き木をいくつか投げ込みやれやれと安堵の息をつく。
(あぁ・・・腹減ったな・・・)
気が緩んだ途端、一段と大きく響く抗議の声。
煮炊きのいい匂いに思わず鼻をひくつかせ、へこんだ腹をさする。
腹の虫のシュプレヒコールはもっともで、事実、起きぬけにインスタントコーヒー一杯、おやつに飴一個(しかも舐めかけ)の腹ごしらえでこの労働はあんまりじゃないか。
ゲンマがつけているのだろうか。ラジオが聞こえる。
毎年この時期に聞き覚えのある、冬の歌だ。
「よのなかは、いろいろあるから・・・」
うろ覚えのまま歌詞を小声で口ずさむと、ほどなくして台所からも機嫌のよさそうな鼻唄が聞こえてきた。
赤赤と燃える炎に手をかざす。
クナイだこすらないはずの手甲愛用者のてのひらには、慣れない道具にちいさなマメができていた。
(・・・いろいろ、ありすぎでしょ)
どんなもんかとひっかかってみた年末の手薬煉は、まったく思いもかけず。
「ひまつぶし、か」
そう、・・・なんて愉快。
見上げた星に呟けば、ふうわり。
はじまったばかりの夜に白い息が笑った。
(続)
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2008/11/29
(使役と労働、ムチとアメ)
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