「寒いですよ」
「そぉんなことないって。じゅーぶんあったかい」
絣の半纏の背を丸めた男が言えば、もはやコタツ布団からはみ出して崩れた浴衣一枚で猪口をあおる男が返す。
カカシがぶら下げてきた折詰の中は、それぞれに趣向の違う小鉢が八も収まっていた。
「末広がり、縁起好いな」
ゲンマがそう呟くのを聞いて、取るに足らないようなことをよろこぶ男を意外に思いながら、ちらとかち合った視線に同意を込めてにこりと返す。
どれもほどの好さを保ちつつ、丁寧な仕事を感じさせる品々。もちろんすべてがたいそうな美味だった。
たとえば蟹の柚釜、甘鯛の手毬寿司。牡蠣と牛蒡の白味噌漬。
冬は海のものが旨くて好いよねェと、濃い目に味付けられた煮蛸を咬んでは目尻が下がる。
黄釉の器に小高く盛られたてっぱいを、葱ひとつ烏賊ひとつ、正しく箸先につまみあげてはこの酢味噌の、金胡麻のとゲンマがいちいち呻っている。
まったく、飢えた胃袋に次々収めるのはもったいないシロモノばかり。
「これ、旨いねぇ」
「ですね」
しばらくはそんなやりとりだけで黙々と口に運び、杯を重ねた。
――夜半から未明にかけては雲が多くなり、明日はいちにちはっきりしないお天気でしょう
ラジオだけが話しかけている。
ゲンマがどこからか持ち出してきたのは、濃厚でトロリとした口当たりの醇酒だった。
やさしげな香りで、近頃売れ筋の淡麗辛口とは一線を画したその選択に内心へぇと思いつつ、こいつは燗しかないんですよ、とこちらの好みも訊かずにちろりを用意したゲンマの言葉は、しかし間違いではなかったと思う。
それこそお手製の南瓜の煮ものには、最初から決めていたかのようにぴったりで。
「そりゃまぁ、そうかもしれませんねぇ」
ホント旨い、あってる、バッチリ と南瓜を頬張った口で素直すぎる感想を漏らしたオレを見ながら、猪口を口に運んだゲンマが意味ありげに笑う。
「煮付けの味を、酒の持ち主が知らないはずがない」
「ん、どういう意味?」
「さぁ」
「・・・またそういう意地悪なこと言う」
「はは。ホイ、カカシさんそれ空けて」
「ん、ありがと」
くいと飲み干して猪口を支える指までがほんのりと赤く、そろそろ頭は芯の方までフワフワとおぼつかなくなってきた。
この男となら今に始まることではないが、旨い酒は過ぎるのも早いねと独り笑う。
「何が早いんですか」
「え」
「・・・もう酔ったんですか」
「はは。・・・まぁ、ね、ホラ、今日は予定外によく働いちゃったからさ、そりゃ酔いも回るでしょ」
予定外というところをことさらに強調しつつ、ほろ酔いなのは一応認める。
雇い主のほうはといえば少し肩をすくめただけで、折りに箸を伸ばし知らぬ顔で炭火焼のもろこを口に放り込んでいる。
おとなの指ほどの湖魚は、木の葉では冬だけの旬味だ。
わざわざ料亭へでも出向かなければお目にかかれない贅沢な味に、うめぇなぁとゲンマがしみじみと感想を漏らした。
そそのかされるように同じく口に入れる。
その焼き加減から想像もつかないほどにはらりと舌の上でほどける淡白な身。
含んだ酒が独特の渋みをのどに流し、うっすらとした甘みだけが舌先に残る。
「あ、うまぁ・・・い、んだけどさぁ・・・ね、この部屋あっつくない?オレだけ?」
小骨を咬みながら触れた頬が熱い。酒のせいもあるがきっと顔が赤いだろう。
「寒がりの人間が作った家なんでね」
「ふーん・・・あったかいけどね、ここ」
「そう。ボロい家ですけどね、今日みたいに風の日でも昔っから隙間風ひとつ入らない」
夕方から強くなってきた木枯らしが、今もときおりカタカタと家を揺すっているというのに。
「それになんだか尻の下が・・・」
「ああ、そりゃあカカシさんが風呂を沸かしてくれたおかげで」
「おかげで?」
「床下に煙道があるんですよ、この家。それに燃焼空気が通じて・・・こう、今で言う床暖房ってやつじゃないすか」
「へぇ」
そりゃすごい。
丘の国帰りの大工にわざわざ作らせたと聞いて、昔のことなのにとさらに驚き、しかし珍しい暖房の仕組みも遠い異国ではさもありなんとオレは思う。
そこは今でも冬の厳しさが有名な土地だ。
雪はさほど多くはないはずだが、長い冬のあいだは凍てた空っ風が昼も夜もなく吹き荒んで往生したと、年かさの同僚が話すのを聞いたことがある。
「でもさ、こんなにあったかいのにそんなに分厚い半纏着て、ゲンマくん、おじいちゃんじゃないんだから」
まろやかな酢加減の蕪南蛮をぱりぱりと食みながら水を向ける。
と、案の定、頬杖をついたままの淡い茶色が睨み上がった。
「・・・だーからさっき言ったじゃないすか」
行儀悪く箸なんか振り回しちゃって。
「い、・・・えーと、なんだ・・・めんきょかいでん・・・じゃなくて、一子、一子相伝ってやつですよ」
コタツの角をはさんで隣に座るゲンマはなぜかしたり顔、オレの頭は疑問符だらけだ。
(なに言ってんだか・・・)
人のことを言えたもんじゃないが、こりゃああちらも相当キてる。
意味不明の戯れ口に多少は引っかかりつつも適当にあしらい、オレは次を貰おうと徳利に手を伸ばした。
が、どうやら中身が軽いようだ。
振る。傾ける。覗く。
あら、と火鉢を振り返る。
そんなオレをじとりとねめつける酔眼、ゲンマが目の端でもぞりと動いた。
五、 四、 三。
無言。
何よりも語る金の視線を意識すれば、普段人目にさらさない首筋は妙に熱くなる。
袂を押さえて腕を伸ばし、ここでは余裕を見せることすら滑稽だけどオレは無視して黙し続けた。
あと二秒。
伸ばした指を、不埒の右手が掴みとるまで。
(続)
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2008/12/03
(甘し糧、甘し酒、甘し君)
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