君の部屋
方角を定め、枝を蹴る。
夜烏が羽根をばたつかせ、迷惑そうにぎゃあと喚いた。
仕事の都合、疎ましく思いこそすれ望むべくもない。
夜陰に紛れることを好しとする生業を持つ以上、こんな月夜は必要なことだけ済ませればあとはさっさと切り上げるに限るのだ。
依頼書に示された任務期限はまだひと月の先。
わざわざ非番の日に外へ出て下調べを済ませたのだから、今日これより先を急かなければならない理由は見当たらなかった。
駆ける脚はゆっくりと、そして時々向かう先に月を見据えて、僕は次第に先を急いだ。
月白に仄めく林の道は大門へと続く。
その自重を支えてのらくらと昇りかけた天球が、東の空低く浮かんでいた。
「えー・・・・珍しいね・・・本気?」
自らの行動をあとづけで説明するには、何かが足りないらしい。
おかげで、裸の上半身に肩からタオルを下げたままだらしなく背に凭れた格好で椅子に沈むカカシは動こうともしない。
云うとおり、なじまないことはやりづらい。
顔を合わせていなければわざわざ出向いて誘うなんて今まであまり無かったから、なんて、しなくていい言い訳までしたってのに。
何もこんな寒空に と渋る、風呂上がりの人間の単純な言い分。
それを聞いて、まぁそれもそうかと早々に納得させられてしまったのは、結局は僕のほうだった。
「じゃあ・・・ここで、僕、飯食ってってもいいですか」
「ん、好きにしな。 あるもんで適当に・・・俺の分も、な」
目をやれば、窓の外は冴えて月夜、花冷えの初更。
久々に寒い夜はまだ始まったばかりで、いかにして誘い出すかばかりを考えていた僕は、彼の言葉に突如として回路の転回をみる。
これは、例の、あれだ、と。
誘ってるんじゃないか なんて、わざとらしい勘違いをしてみれば、ああ、己の中にある牙城のなんと脆きこと!
「じゃ、お言葉に甘えて」
歩み寄って、逃げ道を塞ぎ、懇切丁寧な宣言まで添えて微笑んでみせる。
「好きにさせてもらいます」
久しぶりに味わう唇につい熱がこもって、こもり過ぎた。
押し倒してしまった椅子ごとしたたか頭を打ちつける羽目にならなかったのは、俊英の忍びであるカカシに感謝するところだ。
盛大な文句を浴びながらそこそこの謝罪を口にして、あとは向こうで と受け流す。
下手こいたら承知しないよ なんて云う頬が艶かしく朱にのぼせているもんだから、僕は。
僕はやっぱり勘違い、したんだ。
強引な結論ではあるが、今、この世のすべての辞書から<勘違い>という文字が消えてなくなればいい。
心の底からそう願い、僕はうなだれている。
きしきしと寝台までが嘲笑う。
にじり寄ってくるカカシも、喉の奥で笑いを耐えているのがわかる。
「・・・もう、ここでは、しません・・・」
「はは。 ま、そう云わずに。 オマエから訪ねてくるなんてさ、ホラ、滅多にないことなんだし?」
情事の名残を湛えた肌は、汗ばんでうっとおしかった。
つまり今の僕には、そんな共同作業の証がせめてもの救いなのだ。
僕だけの所為にしてくれるな と、そういうことだ。
ついには声音までが拗ねだした僕の背にずっしりべったりと圧しかかると、カカシは続けた。
「それにどうせオマエ、またここに来なきゃならないんだし、ねぇ?」
寄せた唇が、柔らかく耳を食む。
「・・・どうせ ってなんです」
「んー・・・? だって誘ったのはオマエでしょ、ほら」
冷たい光の射し込みを浴びて、伸び上がった痩躯が部屋で薄い影になる。
窓掛けは両脇に振り分けられて、ふたりの目の前に月夜が拓いた。
「ね?」
振り向く姿に白く逆光を背負う人。
「ね・・・? って・・・何です・・・月?」
「・・・っかぁぁぁ・・ダメだねぇテンゾウ、オマエ・・・意味知らずに人を月見に誘ったってわけ・・・」
「・・・」
相変わらずわからない僕は結局何も持っていなかった。
いつだって丸腰のまま、見つめられては黙り込み、丸腰なのをいいことに、それ以上の責めは無いと高をくくっているのかもしれない。
こんなやり方で謎かけのヒントを待つ僕を、非難することなどまるで知らないといった口調で。
「ま、俺はもうあんまり・・・真ん丸かどうかなんて、よくわかんないんだけどな」
まるで他愛もない話をするように、カカシは云った。
からかいや、くだらない戯言。たまには睦言。
紡がれる銀の言葉に、僕は往々黙って耳を傾ける。
そしてそれは今夜、勘違いのしようも無いほどに。
紛れもない失意の言葉だって、それはそれは当たり前のように。
2008/04/03
(苛むのは間に合うはずの無い焦燥)
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